読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

世界は眩すぎる

広汎性発達障害(いわゆるアスペルガー)疑いの一社会人が、自分の自閉症的な部分について書いてみます。できるだけ淡々と、「自分の認知の仕方」と「どうしてそう感じているのかについての推測」を書き出してみるのが趣旨です。

その表情は空虚だ(比喩表現ではないです)

c.感覚鈍麻について

認知能力の問題について。こんどは感覚鈍麻、

つまり「認知する/しないの閾値が高すぎる」点について。

 

まずは、人の表情の話です。

おそらく自分の場合、誤解を恐れずに言ってしまえば、人の表情はたいがいが所、「無表情」としてしか認知できていないです。

 

明らかに涙を流しているとか腹抱えてるとかだったら、「泣いてる」「笑ってる」とわかりますよそれは。
だけど、ちょっといらっときてるとかちょっと涙目になってるとかだと、たぶん自分にとっては「無表情」カテゴリのままなんですよね。涙目とか半笑いとかをそもそも認識できてないの。
つまりは、普通は5度眉毛が上がってたら怒ってるとわかるところ、自分は30度上がってないと認知できない、ということかなと。(数字は裏づけのないてきとうな値です)

 

そして加えて言うなら、

「涙を流している場合→泣いている→悲しいんだろうな」あるいは

「笑い声(という音)を発している、あるいは目を細めて口角をあげて口を開けている場合→笑っている→嬉しいんだろうな」

というテンプレ的な了解しかできていない。

「怒りを含んだ笑顔」や「喜びをふくんだ悲しみ」の表情がどういうものか、見分けられないし書き表してみろと言われたらできないです。

 

なぜ自分で、「人の表情がどうも認知できていないらしい」ことに気づいたかというと、他の人が書いた芝居の感想を読んで。

「劇中の登場人物Aは、常に別の登場人物Bの様子をうかがってたよね、あの二人何があったんだw」みたいな文章を読んで、「え、そうだったんだ?」って思ったのが最初。同じ演目を見ていたはずなのに、自分はそれにまったく気付かなかったのです。

そう思ってあらためて考えてみると、自分は舞台を見ても映画を見ても、役者さんの演技に関してぜんぜん感想書けないのな。あのシーンのAの表情がどうとか、上述のようにAはいつもBを気遣ってたよね、とか。
そう気づいてからも、しばらくは、視力が弱いから「見えてない」んだろうと思ってたんですけども。

自分で「あ、違う、表情自体が認識できてない」と思ったのは、はっきり覚えている。映画版「ノルウェイの森」を見たときだった。

途中でマツケンの顔が大写しになってぱっと表情が変わるシーンがあるんですよね。
けど自分、どんな表情から何の表情に変わったのかまったくわからなかったし、いまだに言い表せない。ビフォーアフターどっちも無表情に見えていたから。

「表情が変わった」ことはわかったんだけど、それは正確に言えば「頬の筋肉が大きくぴくっとしたことがわかった」ことでしかなかった。怒りも悲しみも同情も、何をワタナベくんが感じているのか、自分はまったく理解できなくて、ただ淡々と場面は切り替わっていった。

同行者は「あの表情の変化はすごい!」と絶賛してたわけですが、「うん、…そうだね」としかいえなくてさ。話についていけなかったの。

 

だから、たとえばお芝居でいえば、「ちょっとした表情の変化で観客を笑わせる」とか「少し妙なしぐさをして観客を驚かせる」場面についていけない。他の観客がなぜ笑っているのか、なぜざわついているのか、何が今面白い場面なのか、わからなくてひとりで「?」ってなっている。

 

なんかさ、もうさ、「感情表出8;喜:5・怒:3・哀:2・楽:3」みたいなボリューム表示がどっかにあるといいのにとか思っちゃうよね。

 

 

一旦、ここで切ります。