世界は眩すぎる

広汎性発達障害(いわゆるアスペルガー)疑いの一社会人が、自分の自閉症的な部分について書いてみます。できるだけ淡々と、「自分の認知の仕方」と「どうしてそう感じているのかについての推測」を書き出してみるのが趣旨です。

(読了)アスペルガー症候群の難題

読了本のカテゴリをつくってみました。

独断と偏見私見乱舞ですがやってみようと思います。

ひとまずはこれから。

アスペルガー症候群の難題 (光文社新書)   井出 草平

https://www.amazon.co.jp/dp/4334038239/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_FQq6xb3A4A6JK

主な読者対象:研究者

内容量:文庫(新書)普通サイズの一冊(自分は2日集中すれば読み切れた)

読みやすさ:3~4(10段階)

 

まず言う。これ、あまりアスペルガー特性のお子さんをお持ちの親御さん向けではないですね。研究者向けに推論をひとつ提示するための、いわば論文。

目の前のお子が何を考えてるのかとりあえず推定する方法が載ってるわけじゃないし

目の前でパニック起こしてるお子をとりあえずなんとかすることなんてできないし

結論としては親御さん一人がなんとかできる話じゃないよねって話ですし(社会制度的な問題の指摘だから)

 

ただ、「うちのこ、どうしたらいいの?」を少し離れて、「アスペルガー傾向のある人が社会的に犯罪行為につながらないためにはどうしたらいいのか」という一般的な話を考えるときに、ヒントとして頭に置いておくと良い考え方やデータが手に入る、と思いました。

 

全体的な批判点はアマゾンレビューに譲ります。大体妥当な批判がされていると思います。

まぁそうだな…という点ばかりと思われます。

アスペルガーの犯罪親和性なんて先行研究もサンプルも少なくて定量的研究がほとんどない状態なわけですから(これは本文を読めばわかると思います)ほぼ推論になっちゃいますよねと。

 

ただ、注目すべき点は、ここで示されている推論というよりも社会的課題の指摘でしょう。

これには2つの方向があると受け取りました。

1)アスペルガー傾向を持つ当事者が、障害特性ゆえに「社会的には犯罪」である行為を行ってしまう可能性が高い

アスペルガー『だから』犯罪を犯す、という意味では決してない)

2)犯罪の防止とはすなわち被害者が出ることの防止。それには、加害者となりえる者に適切な教育を施すことでリスクを低減させるのが効果的

 

1)について

2000年前後に起きた、様々な衝撃的少年事件の加害者のうち、アスペルガー傾向のある者はそれなりに多いようですが

「人を殺してみたかった」「人は死んだらどうなるのか」等、「心の闇」などと称された彼らの発言は

「心の闇」なんかではなく字義通りの意味、「本当に疑問に思ったので試したら結果的に犯罪行為だった」「しかもそれが『悪い』ことだと理解できない・『反省』するという発想もない」、これはアスペルガー特性によるもので、つまり犯罪につながるリスクではないか

という趣旨だと受け取りました。

個人的には、可能性の高いリスクと考えるのは妥当だと感じました。

何度か言っていますが、自分は「挨拶は大事だという一般的認識は知ってはいるが、なぜ挨拶する必要があるのかをそもそも理解できなかった」のです。

つまり、一般社会において前提事項とされていることを、直感的に、あるいは暗黙の内に、内面化することができない。

明らかな「決まり事」などとして「こういうもん」だと教えられたら、守ることができるので、著者の言う犯罪リスクの低減につながると思います。

 

2)について

パニックや衝動等を暴力的行動として発現させるタイプは一定数いる。

彼らの暴力的言動は、たとえば家庭内で起きていたり家族が盾になって受止めたりしているがゆえに社会的に表れていないだけで、もしも他人に対して表出したら、

反抗挑戦性障害―素行障害―犯罪行為 と展開していく可能性がある、つまり犯罪親和性の高いタイプ=高リスク群といえる。

彼らは優先的に掬い上げ、療育的に社会適応させる必要がある。

という論だと受け取りました。

個人的には、「犯罪リスクの低減」という視点からすれば、そのような論法になるのは納得がいきました。

実際には、暴力的行動のありなしに関わらず、自閉傾向に応じて療育的なかかわりと育ちの機会があってほしいと感じますが。

 

少しあれっと思ったのですが

ADHDと犯罪親和性の先行研究を比較参考にもってくるのは、アスペルガーと犯罪親和性の先行研究があまりにも少ないからという理由でまだわかるのですけど

反抗挑戦性障害―素行障害との親和性までアスペルガーの犯罪親和性を論じるステージにもってきていいもんかいな、とは思いました

(DSM4-TRまで、ADHDと反抗挑戦性障害―素行障害は「注意欠陥および破壊的行動障害」という同じカテゴリだったのですね)

あと、これ米国での研究だそうなんですが

あちらではASD傾向があってもADHD傾向があれば「ADHD」だと診断されるらしい…ようなことを聞いた覚えがあるのですけど(栗原類さんのADHDカムアウトの時だったかな)そのへんはどうなのか気になりました。

↑こういう風に診断される、てのはDSM5基準下での話(なので当該研究が発表された当時、ADHDと診断された対象者には言うほどASDは混じってない)、という可能性はあると思うけど。

 

とにかくも社会全体で共有すべき視点として、

・「犯罪は障害が原因で起きた」などの言説は、社会的に「こんな理解しがたい事態は障害があるのが悪い」と適当に納得させるためのものでしかない。
・重要なのは診断自体ではなく、本人の傾向を把握して社会的適応をなさしめるために利用すること。療育なき診断は無意味である。

があるのでしょう。

当事者や家族はともかく、興味や関わりのない人≒一般社会は短絡的です。

アスペルガー等の発達障害イコール犯罪予備軍、早いうちに見つけ出して隔離すべき」という論だと簡単に受け取ってしまいます。

それは百年以上前の優生学の時代や、それ以前、障害者も貧困者も「異常」な者はいっしょくたに隔離された時代と変わらないレベルの言説です。

最も重要なのは療育の充実である、その点がちゃんと受止められるよう祈ります。