授業も会議も、意味をなさない
まず念のため申し添えますが、学校教育や職場をディスる意図はないです。
どうやら自分の場合、聴覚情報の認知が弱いらしいことが主な理由で
授業や会議で与えられる情報が頭に残らないらしい、という話です。
中学とか高校とかのときのことを同級生と話していてふと気づいたのですが
自分は授業中にほとんど「ノートを取る」ということをしていなかった。
ノートなんてものは練習問題を解くくらいでしか使わないので未使用ページがやたら余る。
だから、「ノート貸して~」等の会話に対しては、「ノートを見て何をするんだろう?」と本気で思っていた。
そしてそれは、他の子にとっては「珍しい」ことだったようです。
で、授業中になぜノートをとらなかったかというと
「耳から入ってくる情報をノートに書きつける」
という芸当ができなかったからです。
話を聞いていて「なるほど」とか「これは重要なのだな」と思ってノートに書き始めると
認知能力のすべてを「聞く」から「書く」に切り替えてしまうので
続きの話が一切聞こえなくなります。
再び「話を聞く」にスイッチを切り替えた時には、すでに内容はずっと飛んだところまで進んでしまっているので
ノートに取るべき情報は中途半端なところで止まり、書くべき続きはわからない状態です。
そのため、認知能力のスイッチは「聞く」のまま、「書く」ことをしないでいる方がマシなのでした。
音声情報を頭の中で文章に変換する作業だけ続けていれば、少なくとも有意味単語を拾って流れを推測しておき、後で練習問題を解くことで理解することはできたからです。
つまり、学校の勉強はほとんど、授業以外でなんとかしていた。正直なところ授業で話を聞いてる段階では「理解」はしてなかったかもしれない。
それは、幸運なことに教科書や参考書を読みなおせば理解できる程度に勉強の才能があったからかもしれないし
公文でちょっと進んだ所をやっていたから学校の授業は復習状態なことが多かったからかもしれません。
ただ、こういうのだと大人になってから「会議」で困りますね。
勉強と違って、別の場所で学習しなおすことが難しいからです。
会議で困る点をあげると、
・話を聞いていると資料を見ていられない(認知スイッチが「聞く」にしか入らないから)
・資料を読んでいると話が全く聞こえなくなるので話題の流れについていけない(認知スイッチが「読む」にしか入らないから)
・話し合われている内容は案外あっちこっち飛ぶものなので、資料に基づいて「○○についての議題だ」と思って聞いていると話の内容が違い、混乱をきたす→今なんの話をしてるのかついていけなくなる
・発言者の話の内容を書きとめようとすると話の続きが聞き取れなくなる(認知スイッチが「書く」にしか入らないから)
・けど、↑それを書いとかないとあとで資料がつくれない
・話の流れで色々なことが決まるが、結構抽象的なので「自分は何をしたら良いのか?」などと考え始めると「聞く」スイッチが切れるから(略
・その上「じゃ、そういう方向で」と締められても、ところどころ情報は途切れているので(何か書いたり資料見たりしていた時の部分)、読み取れた「方向性」に自信が持てない
なので、会議の結果報告書は超重要で、相当に頼ってしまっています。
会議が終わったその場で、あるいは結果報告書が出ない場合になんとか対応できるためには
・最後に、重要な発言と結論・日程を「まとめ」等として示してもらえる
必要があります。
これは、話を聞きながら資料を読みつつメモがとれる人にとっても良いんじゃないかなと思うのですが。。