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世界は眩すぎる

広汎性発達障害(いわゆるアスペルガー)疑いの一社会人が、自分の自閉症的な部分について書いてみます。できるだけ淡々と、「自分の認知の仕方」と「どうしてそう感じているのかについての推測」を書き出してみるのが趣旨です。

遠足?ナニソレおいしいの?

f.こう対応してもらえるとありがたいです c.感覚鈍麻について

3か月くらい記事が空いてました(震)

 

時期的にたぶん遅すぎるのですが

お題は「遠足」から、話の枕は禁批判かもしれない「光とともに」ネタより

批判というほどでもないですが、「なんで?」と思った点を。

 

光君が遠足に行くエピソードがあったんですが、自分は単純に理解できなかったのです。
「なんでお母さん、光君が遠足行くことがうれしいの?」って思ってしまった。
「親御さんから離れたところで何か行動できる」という能力を得たことがうれしいのか、
「遠足という非日常的行事を楽しめる」という、自閉特性の改善(?)がうれしいのか、
(ないとは思うけど)「一時的に光君と離れられる」のがうれしいのか、
本当にわからなかった。

 

(念のため申し添えますが

自分が子供を持ったことがないため、親御さんはそう思うものだということがわからない
という理由です。親御さんがそういうふうに思うことが不快だとか批判する意図はないです。)

 

どっちかというと自分は光君側の気持ちを考えてしまいます。
「何月何日は遠足だよ!」とだけ言われ、当日そこに連れて行かれるのは
「なんのためにそこ(慣れない場所)に行くのか」
「親御さんがいない(慣れない状況)のは何のためか」
などが一切わからない状態で謎の場所に連れて行かれ、
「さあ、楽しんでね!!」
「楽しみ方?それは空気読んで見つけなさいよ」
と放置されるのに近いと感じるからです。

だから、光君にとって「遠足に行く」ことは、親御さんが思われる以上に「物凄く怖いこと」なんじゃないかなと思ってしまったのです。

 

自分の場合は、遠足の意義をはっきり宣言してほしいと思った。
「遠足は、慣れないところに親御さんなしで行くための訓練である」
「初めての場所で珍しいものを見て面白がる訓練である」
と言われる方が楽なのです。
先生や親御さんにとっては、行事を「訓練だ」と宣言するのは
楽しくないことをやらせるようで厭なのでしょうか、、
「楽しみ」の経験を得てほしいという思いは正しいとは思います。

 

でもね、そもそも「楽しむ」ことが難しいんじゃないかな

慣れない場所に行くだけでも、「言葉が一切通じない撮影現場に放り込まれ、そこで主人公を演じなければならない」くらいのタスクをこなさなきゃいけないですし
状況を把握するだけで認知能力のすべてを費やさなきゃいけないから、その状況を「楽しむ」なんてどうやってやるのかわからないのじゃないかな

 

以前の記事でも書きましたが、「雰囲気を楽しめない、なにを面白がるものなのかわからない」のです
だから、慣れない状況を「楽しんでね!楽しいでしょ!」といわれるのは
「状況把握だけでテンパっているのに、普通はそれを「楽しい」と思わなきゃいけない。自分はそれができない無能だ、と感じる」
という経験を積むことなのです

だから、「訓練」のためだと言われた方が楽だし、そのつもりで「慣れない状況」を学習することができるのです。
もっと言えば、「きれいな景色を楽しむんだよ」とか「家で同じものを食べるのと違って感じられるでしょう、それを楽しむんだよ」とか
面白がるポイントを示してもらえると助かります。

なぜなら、そう言われないと「いつもと違う」という楽しみポイントにそもそも気づかない・認知しないからです。


周りの景色を見たって

「遠くに山が見える、見下ろした谷に桜が咲いている、自分の横には岩がある」
等と、「存在するもの」の事実だけを認知して、状況把握に努めることに能力いっぱいいっぱい使いきっているので
「いつもと違う状況だけど、それは害や危険ではない」ということと
「いつもと何が違うかを探し、面白がって良いのだ」ことを
はっきり教えてもらえるとありがたいです。

状況の把握をかなり短縮できて、余裕が生まれるからです。

 

「楽しんでね!」というのはかなり漠然とした指示です。

「不安を感じる必要はない」ということと

「何を『楽しむ』べきかという感覚が世間一般と共有されている」

という前提があって成り立つものだと思うのですが

その前提を把握することがそもそも難しいからです。

 

少し話変わりますが、自分が小学校のときの話です。
当時、「日記を書く」という宿題が毎日出ていたのですよね
遠足の日だろうが林間学校から帰った日だろうが例外でなく。
(今思うとこれ、先生も大変ですよね)
んで、遠足の日の日記の宿題に、自分はクラスでただ一人、遠足以外のことを書いていたらしく
親あてに何か連絡があったようで
「あなただけ、日記に遠足の話じゃないことを書いていた、と先生に言われた」
と親に言われた記憶があります。
自分はそれに、「?へー、そう」とだけ返して、本の続きを読み始めていました。

今思い返して初めて思いついたのですけど
「遠足で嫌なことがあったから日記に書きたくなかったのか?心配だ」

という意味だったのですかね?

自分が日記に遠足のことを書かなかったのは、単純に

「何を『楽しかったこと』や『驚いたこと』として文章に記したらいいのかわからなかった」

からでした。

遠足に行くこと自体が嫌とまではいかなかったのですけど

なんのためにその行事があるの?どう振舞ったらいいの?と混乱し

他の子はみんな「楽しかった!」と言うので

「なんで自分はそう思えないんだろう?自分が無能だからかな」

と思っていたのでした。

 

この記事のカテゴリに「感覚鈍麻」をつけてますが適当でしょうかね。

どっちかというと「心の理論」になるのかな。