世界は眩すぎる

広汎性発達障害(いわゆるアスペルガー)疑いの一社会人が、自分の自閉症的な部分について書いてみます。できるだけ淡々と、「自分の認知の仕方」と「どうしてそう感じているのかについての推測」を書き出してみるのが趣旨です。

人の声は耳が痛い(4)

ほとんど月一更新ぽくなってきましたが、過去記事

(人の声は耳が痛い(3)(比喩表現ではないです) - 世界は眩すぎる

で少し書いた、苦手な音=人の声について重ねて書きます。

 

未就学児くらいの年齢のお子さんは、ふいに「きゃーっ」て感じの声をあげることがあるかと思いますが

あの高い音は、耳の奥というか頭蓋の内側を刃物でえぐられるような響きに感じられて痛いです。

そう思うのはおそらく、「その音が起こることが予想できない」せいもあるように思います。

「不意打ちで」「苦手な音質の音が起こる」ダブルパンチでダメージを受けてる感じだと思います。

 

赤ちゃんの泣き声だと、普通に泣いているときよりも

必死で声を張り上げて泣いてる時の泣き声が、余計に頭に響きます。おそらく高い周波数が多くなるのでしょうか。

赤ちゃんの泣き声は周波数が高く(=不快)、笑い声はそれより低い(=快)そうですが

赤ちゃん 喋ることできぬから泣き声で怒り・恐れ・痛み伝える - エキサイトニュース(1/2)

(大人の注意を引くためでしょうね)

ただよく考えてみると、赤ちゃんや子供の泣き声が聞こえたときに、「不快を取り除いてあげよう」と思うよりも、

それ以前に「不快だ、黙れ」と感じるよりも、

パニックと目眩を感じ、頭を抱えて耳をふさいで叫び声をあげてしまいたくなるので

尋常よりもやはり極端な反応なのだと思います。

 

なので、自分が子供を持つことに対しても、かなり大きな恐怖を感じています。

お子自体はそんなに嫌いじゃないのですけども。

子供の泣き声が聞こえるたびにテンパってちゃどうにもならんだろうと予想するわけです。

 

ただ、自分の場合は

子供が興奮して叫ぶ声よりも、それを叱りつける大人の声や

「こらぁー!走れー!」的な、大人が声を張り上げる音の方が「怖い音」として認識しているように思います。

それは、親の声質が苦手で、叱られることが何より怖かった(=怖い音を至近距離から浴びせられるから)からかもしれません。

または、実家の近所にあった小学校から日曜日に聞こえてきたスポーツ少年団の掛け声や罵声が、自分に向けられているもののように感じられて嫌だったせいもあるかもしれません。

 

泣き声やどなり声だけじゃない。

人の笑い声がわっと起こるのは、もしかしたら子供の泣き声以上に耳に響く。

子供の声だろうと大人の声だろうと、笑い声は破裂音のような響きで

鋭く左右の耳をつきぬけていくような感覚がします。

念のため申し添えますと、「笑うな、不愉快だ」等と思ってはいないです。みんなが楽しそうだと嬉しいのです。

ただ「笑い声」という音が刺さるように痛くて、それを我慢しているためにみんなの話についていけないのです。

 

なので、どうしても耳に届く「人の声」を不快だと感じないように対策するなら、まず大人の声を怖くないレベルまで絞る必要がある。

大人の声という音のボリュームを切り落とせれば、子供や赤ちゃんの泣き声は「ただの泣き声というサイン」程度にまでボリュームダウンできるだろう。そういった対策がわかれば、子供をもつことに対する恐怖も薄くなりそうに思います。

 

ただ、対策として試してみた限りでは

耳栓で物理的に耳をふさぐのは、良し悪しだった。

なぜなら耳栓をしていると、自分が言葉を発せなくなったから。

聞こえ方はちょうどよくなったんですが

自分が喋ろうとしたときに、自分の声の響きで自分の頭蓋を内側からダイレクトアタックしている感覚になって「ぎゃあああ」ってなったんですよね。

耳をふさぐ以上、それはどうにもならないものなのでしょうか。

 

 

以上、感覚過敏(なのかどうか今一つ自信はない上に自閉症スペクトラムが関係あるのかどうかもわからない)話でした。