「あなたは、一生治らない」
障害自認、というのでしょうか
「あなたには障害がある」と告知すること、の話です。
(自分の場合、かつ、告知される側、としての書き方をします)
まず、教えられなくても自認するかどうかですが
身体障害だったら、本人はいやでも自認するでしょうね。
自分は他の子と違う格好をしている、あるいは他の子にない病気を持っている。他の子と全く同じ条件で体を動かすのが難しい、何らかの道具を使う必要がある。
知的障害や発達障害だったら、どうでしょう。生まれつき、いろんな点で認知能力に問題があったとしたら。
自分が、なんだか他の子と違うらしい、ということはわかるんじゃないでしょうか(本当に重い知的障害だと、その辺の認知がどの程度なのか、ちょっと推測できないですが)
だけど具体的に「何が違う」のかわからない。自分はいっしょうけんめい「ふつう」にふるまおうとしてるつもりなんだけど、どうもうまくいかないらしい。他の子はなんでうまくできるの?自分は馬鹿なんだなあ。
子供同士って、よく思い出してみればそうなんだけど
似たような年だからとか共通項があるからって仲良く遊ぶもんじゃないし、むしろちょっと外れた子や集団についてこれない子には容赦ないし。
なので、自分が子供の立場だったら
(1)君の思考や認知のしかたは他の子たち大多数と違う
(2)それは生まれつきのものだ、おそらく脳機能に障害があることが原因の一つだ
(3)他の子たちとうまくやるには、多数派であるその子たちの思考や認知のしかたと自分のそれとの違いを知っている必要がある
といったことを、小学校にあがるころには教えてもらいたかったし、うまくやる方法を叩きこんでもらえたらよかった。
(1)(2)は単に事実ですし、(3)は本人が自分の身を守るための知識(というと大げさかもしれないですが、いじめられない方法、と言っていいと思う)が必要だよ、と指摘されるだけのことだと思う。
知らないままでいたら、自己評価が下がる出来事ばかり起こるわけで。
「本人に知的障害があったら、そんなこと言われてもわからんだろうに」という考え方は否定しません。重い知的障害があったら、言葉の意味を理解すること自体が難しいでしょうから。
でも、「あなたには知的障害があるから、知識の取得やその応用がむずかしい」「だからいろいろ工夫しよう、手伝ってくれる人がいるよ」ということを、なんとなくでも知っているほうがいいと思う。
必要なのはとりあえずうまくやる「方法」。その基盤となる「知識」。
その子は、認知能力に障害がある という条件で他者との関係を持たなきゃいけないのだし、すでに社会生活を送っているのだから。
その点、「あなたには障害がある」という告知は、「あなたは不治の病に罹っている」という告知とは違うように思う。
「病名とタイムリミットの宣告」ではなく、「現状と方針の確認」である必要がある、と言い換えた方が良いかもしれない。
「あなたにはこういう障害がある。こういう傾向があり、他の子とはこう違う」と本人に教えるということは、
言ってみれば、たとえば
「いや実は、あなた以外の人間は後頭部にも耳があってね、みんなは後ろの音もはっきり聞こえるもんなんだよ、それ前提でお喋りしてるんだよ」
と知らされるのとどう違うだろう?
それに対する反応として、「私はめっちゃ可哀想だ、同情されるべきだ」とか「私は欠陥のある人間だ」とか…思うだろうか。
自分だったら、他の人には世界がどんな風に見えているのか不思議に思うし、自分の認知している世界とどう違うのか知っておきたいと思うけどなあ。