世界は眩すぎる

広汎性発達障害(いわゆるアスペルガー)疑いの一社会人が、自分の自閉症的な部分について書いてみます。できるだけ淡々と、「自分の認知の仕方」と「どうしてそう感じているのかについての推測」を書き出してみるのが趣旨です。

可愛くない子供(4)

(承前)

同タイトルの前記事で、発達障害を持っている子が「○○をやります!と堂々と宣言するものの、実際の行動に移さない」という問題を持っている例をあげました。

それは、「動作を実際に始めるにはかなりの気合いを必要とする」という問題もひとつの原因であるように思います。

 

自分で記憶を思い出すとこれもかなり痛いのですが

 

親「おきなさいー」

自分「うん」

親「はやくー」

自分「うん」

親「遅れるよ?」

自分「うん」

親「遅れるってわかってるでしょ!?」

自分「うん」

親「いいかげんに(略 」

自分「…うん(まだ起きない)」

 

といったことが多々あったように思うのです。

 

なんなんだろうなああれは。あまのじゃく?怠惰?

命令に対しての委縮?反抗?いや、そんなロックなもんじゃない。

「今まで続けていた動作を止めて、他の動作に切り替える」ことには結構気合いが必要なんで、じっと同じことを続けているほうが楽、なのでした。

 

「ああ、もうこの変な座り姿勢をやめてあの本を読みはじめなきゃなあ」

「もういい加減にこれを眺めているのをやめなきゃなあ」

とは思うのです。今やっている「変な姿勢」や「ビー玉を眺める」ことがなんの意味もないし、やらなきゃいけないことが止まっていることもわかっているのです。

でも、体勢を変えることや動作をやめることの「思い切りがつかない」とでも言うのでしょうか、

かなり意識的に「ここをこう、動かして」「立ちあがって」、と確認しないと変化の動作がだいぶ怪しいです。

 

怒られて、パニック起こして、わあわあ泣いて。けど泣きやみたいのに、別に泣いていても気持ちよくなんかないのに、どうやったら自分が泣きやむのかよくわからなくて。泣きやむ動作がどういうものなのかよくわからなくなって、結局しつこく泣き続けていた。

傍から見ていたら、たとえば「泣いてないで落としたおもちゃを拾えばいいじゃん」とか「ごめんなさいって言えばいいじゃん」と思うのでしょう。

けど「動作を止めよう/切り替えよう」と思いながらなぜか身体の動きにつながらなくて、延々と同じ動作を続けてしまって。

 

いわゆる常同行動って、そういう感じなのかもと思います。

別にゆらゆらしてるのが楽しいわけでもない。その行動を続けようとこだわっているわけでもない。ただ、止められないでいる。人から止められると、「その動作を止める」ことで起こる変化を恐れるのか、怖いと思う。

 

ちょっと心身問題にもつながってきそうな雰囲気を感じます。