可愛くない子供(3)
なんだか一週間ほど空いてしまいましたが、同タイトルの前々記事にて
発達障害の子の親御さんから見た問題点その2、
「何か言っても応答するだけで行動に移さない(例:「○○をします!」と約束するけどまともにやり通したことなんてない)」
ことについて。
…いや本当に、我が身を振り返ると大変、大変に痛い、です。
たとえば小さいことでは「ご飯食べなさい!」「食べます!」から
大きめのことでは「この学校/会社に最後まで通い通す意思はありますか」「はい!」まで。
先に言ってしまいます。言い訳ではないです。
「やります!」と言っているときは、本気でそう思っているのです。
ただ、そう宣言することが、具体的に「何をする」ことまで含まれるのかがわかっていなかったのです
たとえば「この仕事をやりますか?」「やります!」というやり取りがあったならば
ある形に完成させた成果物を相手に渡し、「確かに受け取りました。お疲れさまでした」と連絡が来てはじめて、それを「やった」という事実が達成される、
それが分っていなかったように思うのです。
だから「確認してね」という言葉とともにある作業を振られた場合、
「確認する」というのは、たとえば
1)正しいリストと、出来上がったばかりのエクセルファイルを見比べる
2)正しいリストとエクセルファイルとで、相違点を見つける
3)エクセルファイルをリストにあわせて訂正する
4)それを、リストの最後まで繰り返す
という一連の作業の総体である、そのことをまず確認する必要があります。
自分の場合でいえば、3)が「確認する」ことに含まれることがわかっておらず
2)の相違点に印をつけただけの状態で依頼者に提出する、
ということがあったように思います。
なのでたとえば上述のお子さんの場合、
「夏休みの宿題をちゃんとやる意志はありますか?」「あります!」→宿題を手をつけただけで投げる というやりとりがあったのだとしたら
「宿題をやる」ことは、イコール
・宿題冊子に載っている問題について、すべての空欄に答えを書きこむ・答え合わせをする
・その冊子を夏休み明けに提出する
・以上が行われたことを、先生と親御さんに確かめてもらう
これらの作業の総体である、ということがよくわかっていない、
そしてそれを、親御さんや先生に確かめる必要があることに思い至らない、
そういう問題なのではないかと推測します
だから、端的には
「最後のページまで答え合わせした状態の冊子を先生に提出し、それが返却されれば、『宿題をやった』ことが達成される」
「もしも一部の問題を解いただけでやめてしまったら、君は『宿題をやります』と言ったのにうそをついたことになる」
ということを最初に確かめあうのが良いのではないかと思います。
ただ、「今やります、と言ったとおり、動作を始めなければならない」と思いながらも、立ち上がる/歩きだす/本を開く といった動作を実際に始めるにはかなりの気合いを必要とする、という問題もあるように思います。
これについては記事を分けます。