挨拶って必要なの?(3)(単純に疑問)
以前の同タイトルの記事で、
「いろいろな発話の中でも挨拶は特に、大きな声で行われるため、それが頭に響いて耳に痛い」
「そのため、なぜ苦痛を感じてまで挨拶をしなきゃいけないのか、理由がわからなかった」
という趣旨のことを書きました。
で、まぁこの年なんで、「挨拶が必要とされる理由」も色々な知識から推測はできるようになったわけです。
ある所で読んだ「挨拶はコミュニケーションの最初の段階」という表現、これが端的でとてもわかりやすかった。
それで、「挨拶しない(1)→その人とつながりを求めてない(2)=敵意がある、とみなされる(3)→だから挨拶は必要とされる(4)のだろう」と推測してるのですが、、
どうですかね大体合ってますかねこれ。
ていうかそもそも、上記の(2)=(3)や(1)→(2)がなぜ成り立つのか、正直言うとどこかで納得はできてないです。そのように思考がつながっていく感覚がわからない(体感できない)。
ですが、ふつうのひとはそう思うもんだと、割り切って覚えるべきことなんでしょう。きっと。
「敵意がない証拠として、コミュニケ―ションを求める」のがふつうの行動原理だと、それをまず叩きこんでもらえていたら、ほかのひとの言動が何に基づいているのか、いろいろな推測をするのに回り道しなくてすんだんじゃないかな、と少し思います。