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世界は眩すぎる

広汎性発達障害(いわゆるアスペルガー)疑いの一社会人が、自分の自閉症的な部分について書いてみます。できるだけ淡々と、「自分の認知の仕方」と「どうしてそう感じているのかについての推測」を書き出してみるのが趣旨です。

挨拶って必要なの?(3)(単純に疑問)

以前の同タイトルの記事で、

「いろいろな発話の中でも挨拶は特に、大きな声で行われるため、それが頭に響いて耳に痛い」

「そのため、なぜ苦痛を感じてまで挨拶をしなきゃいけないのか、理由がわからなかった」

という趣旨のことを書きました。

 

で、まぁこの年なんで、「挨拶が必要とされる理由」も色々な知識から推測はできるようになったわけです。

ある所で読んだ「挨拶はコミュニケーションの最初の段階」という表現、これが端的でとてもわかりやすかった。


それで、「挨拶しない(1)→その人とつながりを求めてない(2)=敵意がある、とみなされる(3)→だから挨拶は必要とされる(4)のだろう」と推測してるのですが、、

どうですかね大体合ってますかねこれ。

 

ていうかそもそも、上記の(2)=(3)や(1)→(2)がなぜ成り立つのか、正直言うとどこかで納得はできてないです。そのように思考がつながっていく感覚がわからない(体感できない)。

ですが、ふつうのひとはそう思うもんだと、割り切って覚えるべきことなんでしょう。きっと。

「敵意がない証拠として、コミュニケ―ションを求める」のがふつうの行動原理だと、それをまず叩きこんでもらえていたら、ほかのひとの言動が何に基づいているのか、いろいろな推測をするのに回り道しなくてすんだんじゃないかな、と少し思います。