世界は眩すぎる

広汎性発達障害(いわゆるアスペルガー)疑いの一社会人が、自分の自閉症的な部分について書いてみます。できるだけ淡々と、「自分の認知の仕方」と「どうしてそう感じているのかについての推測」を書き出してみるのが趣旨です。

人の声は耳が痛い(4)(比喩表現ではないです)

こうして書きだしてみると、自分の場合は聴覚がより過敏なのかなあ、と思います。

 

最近、軽く耳栓をするとちょうどいい感じに人の声が聞こえることがわかった、のですが

耳栓するとこんどは自分がしゃべれなくなるということも同時に分かったんですよね。自分の声がえらいこと頭の中で反響しまくるもんで…どうしたもんでしょうか。

あとさ、耳栓をしていると「お前の話なんざ聞く気はねぇ!」という意志だ、と受け取る人もいる、んだよね?

(耳栓がなぜそういう意味につながるのかが本当にわからないのですが…これは心の理論に問題があるからだとは思います)

だとすればいらん誤解を呼び込むことにもなるわけで。どうしたもんでしょうかね…

 

少し話は違いますが

喋っているとき、普通は周りの音って聞こえているものなんでしょうか?

自分の場合は、しゃべっているときは周りの音は聞こえなくなる…というか、

「空気の流れという種類の音」や「人の声という種類の音」が周りで流れているなぁとぼんやり認知してはいるものの、感覚するもののほとんどを自分の声が占めてしまっている、という感じになるもので

自分の話を遮って相手が話しはじめたりした場合、自分がしゃべるのを止めることがなかなかできない。「相手が話している」動作を視覚的に認知したら止めてる、という感じ。

 

なので、耳栓をしていなくても自分の声が体中に響いて、うわあああって思いながらとにかくも、しゃべらなければいけないことをしゃべっている、という感じです。

 

そのためか、どうも「ちょうどいい声量でしゃべる」ということが難しいようです。

滑舌が悪く早口なのもあるんでしょうが、ぼそぼそ小さい声になっているらしく。

だからといってちょっとはっきり話そうとすると、静かな場所なのに無駄に大きい声になっていたりするようです。

 

一旦、ここで切ります。